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草津駅~草津川跡地公園~草津宿街道交流館~太田酒造道灌蔵~立木神社~草津宿本陣 | |||||||||||||
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今回もいい天気でしたね。 関西金亀会で集まったメンバーは我々彦八は18名、全体では約 260名でした。 (竹村・奥村(克司)・奥村(昇)・田中(安)・竹内・武田・坪田・古野・小川・中城・中村・野村・増田・橋本夫妻・濱村・藤岡・清水) |
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・・・・・・・・・ さて、『関西金亀会 歴史街道歩こう会』も33回を迎えることになりました。 今年度は東16回が担当し、旧東海道の草津宿周辺を歩く計画を立てました。 25名8班編制で草津のボランティアガイドの皆様の協力を得て、 現存する本陣としては最大級である草津宿本陣をはじめ、 「太田酒造:道灌蔵」の見学や、厄払いで有名な立木神社のお参りなどを予定しています。 東海道と中山道が交わる歴史的な宿場町。 草津本陣の大福帳には浅野内匠頭、吉良上野介、土方才蔵など 歴史上よく知られている人物の名前も多く残っていると聞きます。 初夏を前にし、歴史豊かな草津宿周辺を散策しながら遥か悠久のいにしえに思いを馳せる一日になればと ・・・・・・・・・・・・・・・・・ (第33回 関西金亀会「歴史街道歩こう会」のご案内文より) |
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9:50 |
冷房が効きすぎるくらいのJR新快速で草津駅に着くと 駅前には彦根東高校の校章旗がお出迎え。
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10:01 |
スタートに先立ち
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10:42 |
総勢260名をいくつかのグループに分けて散策開始。
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10:55 |
常善寺、檀家を持たないお寺だそうでさほど立派なお寺に見えない。 門前境内は駐車場に化している。 奈良時代に良弁(ろうべん)(687-773)によって創建されたと伝えられる浄土宗の寺。 本尊の阿弥陀如来像と脇侍(わきじ)の3躯が重要文化財に指定されています。 中尊台座蓮弁(ちゅうそんだいざれんべん)や観音像台座の下框(したかまち)の桟に康元(こうげん)元年(1256)、 健長(けんちょう)5年(1253)の墨書きがあり、これら3躯は建長5年から康元元年にわたって造像されたことが察せられます。 大胆な髪の垂れ具合や端麗な顔立ちなど鎌倉時代の作風があふれています。 三尊背面の来迎壁には、壁面いっぱいに二十五菩薩来迎図(にじゅうごぼさつらいごうず)がみごとな筆致で描かれています。
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11:06 |
草津宿街道交流館。 江戸時代、東海道と中山道が分岐・合流する宿場として栄えた草津宿。草津宿街道交流館は、その中ほどに建つ歴史資料館です。 江戸時代の旅と街道を中心に、展示と体験を通して草津の歴史・文化を紹介しています。
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11:44 |
道灌蔵で昼食。 江戸城築城の祖として、文武両道に優れた武将名高い太田道灌を祖先に持つ太田家は、東海道五十三次の宿場の中でも大宿であり、 また水陸交通の要所でもあった草津において、海道の動静を見守る関守を務め草津行政の中心となっていました。 太田家が酒造りを始めたのは廃藩後のこと。 当時所領としていた100余町歩の田畑から収められる良質の近江米を有効活用するため酒造りを始めたといわれています。
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12:55 |
昼食後は立木神社へ。 御祭神である武甕槌命(たけみかづちのみこと)が常陸国(ひたちのくに)(茨城県)の鹿島神宮を白鹿に乗り旅に出られ (古来始めて旅立つ事を鹿島立ちと云うのはこの縁による)、諸国を経てこの地に到着されました。 そして、手に持たれた柿の鞭を社殿近くに刺されこう言われたそうです。 「この木が生え付くならば吾永く大和国(やまとのくに)(奈良県)三笠の山(今の春日大社)に鎮まらん」と。
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13:27 |
草津宿本陣。 江戸時代、宿場町に置かれ、大名や公家などが休泊した。
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14:52 ~ 17:30 |
最後は草津駅そば「草津酒場・見聞録」で反省会。
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17:30 |
自宅着。 疲れました。 |
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本日の歩行数= 11,923 歩 | |||||||||||||
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