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河内飛鳥コース(64回目) |
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2010.5.26(水) |
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電車行程 | 生駒駅 | ⇒ 快速急行 |
西大寺駅 | ⇒ | 橿原神宮前駅駅 | ⇒ | 上ノ太子駅 |
8:28 | 8:37〜8:39 | 9:11〜9:25 | 9:54 |
今回訪れる太子町は、二上山の西斜面より石川流域の平坦部を含む丘陵地帯に広がり、 古代文化の発祥地であったといわれています。 古の時代、飛鳥戸呼ばれる地が河内と飛鳥にあり、 難波から見て近い方の河内の飛鳥を「近つ飛鳥」、遠い方の大和の飛鳥を「遠つ飛鳥」と称していました。 今回のコースは渡来人が活躍した古代、聖徳太子の飛鳥時代、清和源氏が歴史の舞台に顔をのぞかせた平安時代、 その三つの時代の史跡が数多く残る「近つ飛鳥」・太子町の歴史の道を巡ります。 |
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10:00 | 橿原神宮前駅ホームで植野・山田氏とバッタリ、上ノ太子駅ではもう全員集まっていた。 駅で近鉄発行のマップをもらい、出発。
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10:15 | 駅からワイン工場の前を通り、ブドウ畑を横に見ながら進み急坂を登ると観音塚。
観音塚古墳は石英安山岩の切石がきれいに組み合わされている。
観音塚からゆるい下り坂を進む。狭い道を農家の車が次から次へとやってくる。 |
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10:33 | 飛鳥戸(アスカベ)神社。 飛鳥戸神社は、飛鳥上の段の一角に鎮座する延喜式内の名神大社であり、雄略朝に渡来伝承を持つ百済系飛鳥戸造一族の祖神である「飛鳥大神(百済のコン伎王)」を祭っている。
飛鳥戸神社から道なりに進む。 途中大きな老人ホーム。ここの車も次から次へと送迎に出入りしている。 |
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11:05 | 清泉壺井。 近年まで飲用水として利用されていたというが、現在は汚いたまり水。 頼義公・義家公父子が賊と戦うとき、大干ばつにて飲料水乏しく、まさに敗北せんとするときに、大将頼義公自ら弓矢をもって岸壁を穿ち給えば、そこより清水湧き出し、士気は大いに盛り上がったという。
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11:10 | 壺井八幡宮。 源頼義が建立したといわれる。境内には樹齢1000年の楠木。
次へ進むとPL教団の塔が遠望できる。なんと180mの高さだそうな。
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11:43 〜 12:15 |
通法寺跡。 この寺は源頼義が建立したという。今は山門と釣鐘のない鐘楼のみ。 境内の端には源頼義の墓があった。 ここでいう源氏三代とは初代源頼信(968)・二代源頼義(988〜)・三代源義家(1039〜)のこと。
ここで昼食。 食後竹内氏が竜笛で越天楽を聞かせてくれる。場所柄にピッタリ。
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12:28 〜 12:40 |
食後、隣山へ移動し初代源頼信と三代源義家の墓を参拝。
ここには「生類憐みの令」で有名な大僧正隆光の墓もあった。 |
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13:00 | 源氏三代の墓から敏達天皇陵に向け進むと中ほどに泥掛け地蔵。 さらに進むと二上山が見える。
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13:20 | ゆるい坂の参道を進み30代・敏達天皇陵着。
因みに平成天皇は125代。 歴代で女帝は8人、10代。(33代推古天皇・35代皇極天皇・37代斉明天皇・41代持統天皇・43代元明天皇・44代元正天皇・46代孝謙天皇・48代称徳天皇・109代明正天皇・117代後桜町天皇)。 |
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13:52 | 浄土宗知恩院末寺で聖徳太子作の阿弥陀如来を本尊とする西方院。 聖徳太子の侍女三人が太子死去後剃髪して創建し、太子の冥福を祈って一生を終わったという。
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13:55 〜 14:05 |
西方院からトロトロ坂を下ると叡福寺。 聖徳太子がこの地に廟を造ることに決め、推古28年(620年)に墓所を造営したといわれている。翌年、太子の生母間人(はしひと)皇后が死去したのでこの墓に葬り、更に推古30年(622年)には太子と妃の膳手(かしわで)姫とが同時期に亡くなり、この同じ墓に葬られたとされている。結果、廟は三骨一廟の陵墓になった。
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叡福寺からマップ通り進んでいたら、犬を連れたおばさんがいて誰かが上ノ太子駅への道を尋ねた。 で、その通りに進み、ずいぶん短縮できたみたい。 |
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15:00 | 上ノ太子駅着。 駅に着くなり雨が降ってきた。 犬連れおばさんの言うとおり進んで結果オーライ。 |
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16:00 〜 17:40 |
みんなで橿原神宮前駅まで足を伸ばし、駅構内の「きはる」でカンパーイ。 心配した雨にも遭わず結構な一日でした。 |
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本日のDor To Dor の歩行数=21,918歩。 | |||||||
*本日の写真集(Sway) |