遷都1300年祭
ウオーク
(68回目)

2010.9.29(水)
コース:西大寺駅〜西大寺〜二条大路〜朱雀門〜大極殿〜平城天皇陵〜法華寺〜大西湯〜近鉄奈良駅

参加者:6名(浅井・竹内・竹村・坪田・福井・清水)
電車行程
250円
生駒駅
快速急行
西大寺駅
10:37 10:47
11:00
西大寺駅構内、テレビモニターの前に集合してスタート。
11:05
【西大寺】

765年、称徳天皇が鎮護国家と平和祈願のため7尺の金銅四天王の造立を発願されたのが、当寺のはじまりである。
南都七大寺の一つに数えられ、当初は、110もの堂宇が立ち並ぶほど栄えた。
平安時代に火災などによって一時衰退したが、1235年、叡尊上人が当寺に入寺して再興し、密・律兼修の根本道場として発展した。
現在の堂宇は1502年の火災で焼失したのちに、江戸時代に再建されたものである。

寺境内の孝謙天皇の歌碑

この里は 継ぎて霜や置く 夏の野に 
我が見し草は もみじたりけり

【孝謙天皇】 天平宝字4年(760年)、光明皇太后が死去。
翌年、病に伏せった孝謙上皇は、看病に当たった弓削氏の僧・道鏡を寵愛するようになる
(政治でなく性事がお好き!)が、
それを批判した淳仁天皇と対立する。・・・

光明皇太后の後見を無くした仲麻呂は天平宝字8年(764年)9月に挙兵(藤原仲麻呂の乱)するが敗れ、
同年10月淳仁天皇を追放して孝謙上皇が重祚し、称徳天皇となった。
即位後、道鏡を太政大臣禅師とするなど重用した。


西大寺から阪奈道路の方へ南進し、喜光寺を経て
12:04

12:10

菅原神社。
道真公、産湯の池。

菅原神社

道真公、産湯の池
菅原神社で頭がよくなるようにお参りしてから、阪奈道路をもぐり垂仁天皇陵を裏手から参拝し、二条大路を西へ進む。
(二条大路と思っていたら間違えて三条大路を歩いていた)

13:00
朱雀門の西の壬生門跡で昼食。
13:35

朱雀門。

朱雀門にて

【朱雀門】 朱雀門は平城宮の正門。朱雀とは南を守る中国の伝説上の鳥をいう。
第一次朝堂院の南方、平城宮南面中央に位置する。東西約25m南北約10mの大きさで、基壇上に建ち、屋根は二重で入母屋造り。

他の宮城諸門より一回り大きく、立派である。門前の広場は元日のお祝いなど儀式の場としても用いた。
朱雀門から南に伸びる道路は朱雀大路。平城京のメインストリートで、幅は約70m、平城京の正面玄関羅城門(郡山)まで続く。

14:20

14:45

第一次大極殿。

大極殿内部 高御座(たかみくら)

大極殿前で
“第一次”というからには“第二次”もある。 
奈良時代の中ごろに、一時恭仁宮に都を移したがまた戻って第二次大極殿が造られた。 この第二次大極殿は今は基壇だけ。

15:00


宮跡大極殿の北道路を隔てて平城天皇陵。

竹内氏はここで帰った。
「友達が出張で大阪に着ているから・・・」と。

平城天皇陵
15:28




平城天皇陵から東へ向かうと、法華寺。

法華寺山門
【法華寺】

聖武天皇御願の日本総国分寺の「東大寺」に対して、光明皇后御願の日本総国文尼寺として、745年に創建された尼寺です。
この土地は権力者「藤原不比等」の邸宅で、娘の光明子(後の光明皇后)がこれを引き継いだため、
光明皇后ゆかりの逸話が数多く残されています。


15:39
法華寺から数分のところに海龍王寺。

海龍王寺山門

【海龍王寺】

天平3年(731年)、光明皇后が創建、僧・玄ムが唐から帰国後、遣唐使たちの渡航の無事を願って開基した古寺。

 玄ムが帰国の途中、東シナ海で暴風雨に襲われた際、乗船に収められていた海龍王経を一心に唱えたところ
九死に一生を得て無事に帰国を果たしたことから遣唐使の渡海安全を営むようになり・・・
16:30
海龍王寺から近鉄奈良駅に向かう。
駅のそばで尋ね尋ね大西湯。

風呂から上がって懸垂鉄棒があり、浅井氏がぶら下がるが自分を挙げられない。

ワタクシもやってみたが、まったく駄目。

福井氏はかろうじて一度出来た。
彼は「大学時代体操部に所属していた」と。

大西湯

お風呂のあとは反省会。
一軒目は上品過ぎるお店。どうも居心地が悪く、東向商店街の店に替わっての第2反省会。

天候に恵まれすばらしいウオークでした。飲み屋に恵まれなかったのが申し訳ない!すんまへん!
本日のDor To Dor の歩行数=31,954歩。
   *本日の写真集(Sway)