2014.5.15(木)
番外 新緑の仁徳天皇陵・大仙公園へ

堺市役所~展望ロビー~レストラン「DDS]~西高野街道~仁徳天皇陵~大仙公園~博物館(解散)
電車代=660円  生駒駅
快速 
難波駅
高野線 
 堺東駅
 9:05  9:28  9:40  9:52

関西金亀会の歩こう会は23回目である。

集った総数は181名
我々彦八メンバーは17名:竹村・浜村・西川・藤岡・植野・奥村・福井・加藤・小島・武田・西村・小川・中城・中村・野村・松田・清水 
10:00







 南海堺東駅で下車し堺市役所前に集合。 全員で181名だとか。

全体をA~Gの7班に分け、われわれはF班。

その7班にはそれぞれボランティアガイドが付いて説明してくれる。

こんな大きな団体を担当の「東10」は上手に運営してくれる。

資料の事前作成も立派なものだ。(褒めてつかわす)

集合風景
10:36

 堺市役所に入る。

ロビー壁面には住吉祭礼図屏風の模写。

住吉祭礼図屏風
10:40

 展望ロビー(21階)までエレベーターで分散して昇る。

その高さは80mだそうな。

緑の森が仁徳天皇陵
10:55



 ボランティアガイドの田中さん、下を見下ろしいろいろ説明してくれる。

「堺市は和泉・河内・摂津の三国の境に発達してきた都市です。
三国ヶ丘の地名もまた、三国が接する丘であったことを起源とするものです・・・。」
等々。

11:59
 市役所ロビーでの見学を終えるとすぐ前のレストラン「DDS」へ移動。
昼食時
12:47










 昼食後は西高野街道をいくつかの石標を見ながら進む。
道標

 
 
 
 「西高野街道は堺から紀州の霊場高野山に向かう信仰の道で??
高野詣でが盛んだった平安末期から鎌倉初期にかけては船で堺に上陸した西国の人たちで賑わい、物資輸送にも盛んに利用されました。
起点は堺の大小路で河内長野で中・東の両高野街道で合流します。」
と。

 天皇陵の堀の周りを行く。  
堀にアヤメ
いくつかの万葉碑が・・・


 「ありつつも 君をば待たむ 打ちなびく 吾が黒髪に霜の置くまでに」・・・ 磐姫皇后
                --巻二 87-- 犬飼孝著

 マロ訳・・・「生きてる限り・・・アナタを待ちましょう!
        打ちなびくわたしの黒髪に 霜が降り積もろうとも・・・」




ご参考までに⇒http://web1.kcn.jp/mannpomann/manyousyuu.htm
 
万葉碑
13:37
 銅亀山古墳。

仁徳天皇の陪塚らしい。

銅亀山古墳
13:44
 仁徳天皇陵。

全長=486m 後円部の直径=249m

高さ=35.8m 周濠=2,718m

総面積=464,124㎡



  
天皇陵                  周囲の堀
ご参考までにクリック⇒ http://mannpomann.kt.fc2.com/16nintoku-20.htm#no.16
14:08
 天皇陵からすぐ前の大仙公園域に入る。

と、武野紹鷗たけのしょうおう像。

横の説明板によれば

「大和出身の茶人・豪商(1502~1555)、後に堺に移り住んだ。
上洛して三条西実隆に和歌を十四屋宗陳・宗悟らに茶の湯を学ぶ。
堺に帰ってからは北向道陳らと交友し、南宗寺の大林宗套に参禅して一閑居士の号を許された。
茶道においてはわび茶を好み、利休を初めとする多くの門人に大きな影響を与えた。」
と。
 
武野紹鷗像
14:12
 堺市博物館。
堺市博物館
 
仁徳天皇石棺模型
 
当時の帆船模型
 
山車

博物館の見学を終えると、全体としてはここで解散。
東10のご担当の方、ご苦労さんでした。
 15:47















我々彦八メンバーはアベノハルカス見物へ。

ここで時間調整をして二次会の場へ移動する。

 
アベノハルカス         
 
ところが下りのエレベーターが満員のためマロ一人別のエレベーターに乗った。

これが不幸の始まり・・・。
満員エレベーターの皆さんは1階まで直行、マロのエレベーターは各駅停車。
皆さんは二次会会場へ行ってしまった。ワタシが1階に着いたときにはもう誰もいない。
会場がどこなのか聞いてもいない。

ケータイしようにもあいにく今日はケータイを忘れてきた。
仕方なく多分・・・?と思われる、JR天王寺駅西口の方へ行って居酒屋らしき看板を探していると

西川君が「おーい!しみず~~」と読んでくれた。
探しに来てくれていたのだ。ありがとう!!
17:00  12名で2時間ほど反省会をして解散.
 本日の歩行数=約 24,109歩