2015.7.23(木) 
  第86回 多田銀銅山
 前日は大雨なるも上がることの願いを込めて皆さんに「決行」とのメールを送信。
当日も朝から降っていたがみなさん集まってくれた。
参加者は奥村・竹村・濱村・清水
9:40
日生中央駅集合。
集合場所の日生中央駅から歩き始めるのだが方向がトンと分からない。
尋ね尋ね歩いていたらそのうちの一人の男性はスクールバスの運転手で
途中まで「送ってやろう」とスクールバスに乗せてくれた。
10:59
分かれ道で下ろしてもらって、ウオーク開始。

分かれ道からウオーク開始 

案内標識に1.8Km と

小雨が降っている

途中に砕石工場
11:40

民家の軒下を借りて小休憩 そこにはポンプが 

銀山の案内板
銀山案内図」には

「この銀山地区は多田銀銅山の中心地として栄え、奈良・東大寺の大仏鋳造に使われたという古い歴史を持ち、
豊臣秀吉の埋蔵金が眠るといわれています。
特に江戸時代には代官所が置かれ戸数は約3000戸を数える賑わいを見せていたが
現在は20戸の静かな集落となりその周辺には多くの間歩まぶ(坑道)や
代官所の門、明治の精錬所跡などが往時を偲ばせます。
町立ふるさと館にはふいごや採掘に使った道具類も多く展示保存されています。
また、この自然地の中を東西へ山陽自然歩道が縦走し
年間を通して多くのハイカーに喜ばれています」 と
11:45 悠久の館着。

多田銀銅山を訪ねるに当たって、事前にボランティアガイドをお願いしておいた。
その方と落ち合うのがここ悠久の館。

昼食後ガイドが始まる。
 
悠久の館
 
展示品 鉱石
 
井上ガイドさんの館内説明


明治時代の鉱山用カンテラ 
その昔はサザエの貝に油を入れて照らしたという 
12:50 館内の説明が終わると前の広場に出る。
 
 
 ⇒

このレンガ構造物は明治30年から10年ほど使われていた、
島根の鉱山家堀藤十郎が経営した精錬所の跡だという


精錬所跡 
12:59

 高札場

 高札

 

 
13:13

金山彦神社は大同2年(807年)に建立され
天禄2年(971年)、源満仲により修理されたという伝承
 
現在の本殿は多田銀銅山の最盛期である
寛文年間に建立
13:28 青木間歩

江戸時代に採掘されたと思われる手掘りの露頭掘りと
削岩機などの機械を使って採掘された坑道との両方が楽しめる。

唯一、坑道内を歩ける。
その他は私有のため入れないし、埋められていると。

青木間歩 
 
坑内は19℃ 涼しかったね
 


 

青木間歩の上に上がる 
 
手掘りの跡 キレットになっている
13:46
 坑道の水抜き、空気抜きの穴を見て見学終わり。


道路を更に登って行くと台所間歩とか瓢箪間歩があるそうだが
本日はここまで・・・


井上ガイドさんありがとうございました。
 
14:10

らせん階段  
このあたりが往時の銀山町への入り口だった
 
これを登ってしばらく行くと
白金2丁目バス停
14:50  白金2丁目からバスで川西能勢口へ(340円)
16:04
 
十三へ出て銭湯で汗流し
 
王将でカンパーイ(16:45〜??)
午前中は少し雨に当たられましたが、大したことなくケッコーな一日でした。
皆さんお付き合いありがとうございました。