2006.9.16(土)
  第35回 彦八ハイク 飛鳥路の案山子祭り

2006.9.16(土) 沖縄には強烈台風が風速69.9mで吹き荒れているという日に飛鳥路を4名で歩いた。
 参加者 浅井 植野 濱村 清水
9:45
約束の時間に近鉄・飛鳥駅に浅井・植野君と到着するとすでに浜村君は待合室で待っていてくれた。
植野君は家を出るときに雨が降っていたからと大きな傘を持ってきていた。
浅井君は雨が降っていたら中止になるかも・・・と弁当を持ってきていない。
「なにはともあれ稲渕の案山子だけでも見に行こうよ」てなことで、傘を差してスタート。
浅井君は駅前のコンビニで弁当を買う。

10:45
小雨の中、1時間も歩くと稲渕の棚田「案山子ロード」に差し掛かる。
小雨のせいで見物客は少ししか見えない。


棚田には「今年でオーナーになって5年目・・・」と書いた看板があった。
それぞれの棚田にはそれぞれのオーナーが案山子を出している。
9月16日〜18日が案山子祭りで18日にはコンテストの結果発表があるようだ。

浜村君は「明日もまたこのコースで写真撮影会だ」「でも明日はもっと天気が悪そうだから来ない。
今日の写真を明日の分として使う」とか言っている。

11:20
案山子ロードの見物は約40分。
満開の彼岸花を期待したが、4〜5日早いようだ。
降っていた小雨は止んだみたい。とたんに人影が多くなってきた。

11:40
案山子見物を終え、村はずれの「南渕請安の墓」で昼食。
「南渕請安」:遣隋使小野妹子に従い随に留学。帰国後、中大兄皇子や藤原鎌足に「周孔の教」を授けた学問僧の1人。

「南渕請安の墓」
12:15
昼食後飛鳥川の「飛び石」を渡り、万葉歌人の心を思う。

万葉歌

飛び石
13:40
酒船石。
古代人がこの石で油を絞ったとか酒を造ったとか・・・いろいろな説アリ。
14:00
飛鳥寺。
飛鳥寺は588年に百済から仏舎利(遺骨)が献じられたことにより,蘇我馬子が寺院建立を発願し,
596年に創建された日本最初の本格的な伽藍配置の大寺院。

オイラが「イチニ イチニ (和暦1212年)と仏教伝来」といえば浅井氏「ココニ (西暦552年)仏教伝わる」と答える。
和暦と西暦に660年の差があることが分かった。

蘇我入鹿の首塚・甘樫の丘
14:10〜
14:35

飛鳥座神社。
伝板葺宮跡。
天智・天武天皇の母、皇極(斉明)天皇の「飛鳥板葺宮」跡と伝えられています。
645年6月、中大兄皇子と中臣鎌足が、朝鮮3国の使者の天皇上表の儀式の場でクーデターを断行したのがこの場所だと伝えられています。

陽根石

むすびの神石

伝板葺宮跡
14:50



15:08

橘寺。
現在橘寺のあるところは、寺が建立される以前は欽明天皇及びその第四皇子である用明天皇の離宮、橘宮があった場所といわれており、
用明天皇の子、聖徳太子は敏達天皇元年(572年)にここで誕生したと伝えられている。

亀石。

橘寺

亀石
15:20
鬼の俎板・鬼の雪隠。

鬼の俎板

鬼の雪隠
16:00
近鉄・飛鳥駅。
駅前のうどんやで反省会。
本日の総歩行数:27,188歩、総歩行距離:約18Km。飛鳥路正味距離:約14Km。


後日下の「棚田の親子案山子」が優勝!とのこと、植野君よりのお知らせ。
第34回 同窓ハイク 甲山からアサヒビール工場見学


2006.5.2(火)
 参加者6名 浅井 大橋 塩谷 竹村 浜村 清水
10:05
10時阪急仁川駅集合と自分で決めておきながら、阪急梅田での乗り場ホームが分からず駅員に尋ねている間に遅刻した。


駅から仁川沿いに甲山を目指し、途中から自動車道を歩く。
かなりの急坂でこのあたりに住んでいる人の日常の生活を想像する。
いくら金持ちでも高級住宅地と言われてもオイラは住みたいとは思わない。

五ケ山古墳群を見て、広河原を経由して甲山自然の家を見学。
ここでは甲山のなりたち・いきもの、仁川の生き物等の勉強が出来る。

自然の家から山道に入る。「標高差140mで25分位で山頂」との案内あり。
時間も距離もたいしたことはなさそうだが、なかなかどうして階段がシンドイ。
途中、頼朝の塚なるものがある。物知りの浜村君も「何故ここに頼朝?」と首をかしげる。

頼朝の塚
11:45

12:20

昼食。

山頂にて
参加2回目の塩谷君の話を聞く、趣味は陶芸だと。お話を聞くととても面白そう。
日ごろロクロを回して焼き物を焼き、毎月15日に京都の百万遍で手作り市に出品、販売しているそうだ。
これが良く売れて楽しいとか。
13:50
昼食を終え笠形噴水、彫刻の道、展望台、を通過して仁川駅に向けて下山中にどこで道を間違えたか、
甲陽園に下りてしまった。
地図を忘れたため修正が出来ない。オソマツ。
14:30
甲陽園駅でアサヒビールまでタクシーで行くか、ビールはカットするか皆で相談するとタクシーで行こうということになった。
アサヒビールの工場見学は予約してあり、見学のためには14:30までに工場に着いていなければならない。
タクシーに急いでもらってギリギリ間に合った。
14:30

16:00

工場見学。
映写画面でビールの鮮度を保ち、おいしく飲ませるためにいかに努力しているか等の説明を受け、工程を見学した。
残りの30分が楽しみの試飲。大橋君は5杯、他のメンバーは4杯飲ませてもらった。
やはりウマイ。
見学の後はまた10分ほど歩き、「やまとの湯」
本日の総歩行数:26,901歩、約18Km。
第33回 同窓ハイク 大阪上町台地ウォーク

2005.12.27(火)
恒例の竹内君からお誘いの忘年会。
その忘年会の前に上町台地を歩きしましょうとJR大阪城公園から四天王寺までおよそ8Kmを歩いて、
お風呂に入りJR桃谷駅から梅田の忘年会場のがんこ寿司へ乗り込んだ。 

本日のメンバー=滝沢・橋本・浜村・西川・竹内・奥村・藤岡・浅井・大橋・青木・竹村・坪田・福井・清水の14名。

13:30
集合場所のJR大阪城公園に着くと滝沢君が近寄ってきた。最初は誰だかわからずに失礼しました。「滝沢だ」と名乗られても判らない。
その次に「橋本君」これも判らない。
竹内君にファックスで誘われたというのでようやく納得。
そうこうしていると浜村君がやってきた。続いて西川・竹内・奥村・藤岡・浅井・大橋君で総勢10名となる。

13:50
歩き始めるとすぐ大阪城。裏手から入る。
淀君・秀頼自刃の跡を見る。大阪城といえば皆親しいつもりでも案外来ていない。

大阪城築城の際に亡くなった人々の無縁仏のそばに「二等三角点」があった。
こんなところにあるとは・・・知らなかった。

三角点:三角測量を行う時に地表に埋定された基準点のことを三角点という。
経度・緯度の基準になるのが「三角点標石」


大阪城の二等三角点
14:00
大阪城を背景に皆で集合写真を撮る。
写真を撮ったらすぐに素通りするつもりでいたのに、ボランティアガイドのおばさんに誰かが捉まって説明を受けている。
“想定外”の状況に随分の時間を食ってしまった。
ボランティアガイドの方も観光客は台湾人ばかりで、日本語で案内できるグループを見つけて張り切ったのか?


竹内・奥村・西川・大橋・藤岡・橋本・浅井・滝沢・浜村

豊国神社〜玉造稲荷(170kmの伊勢歩講の起点)〜三光神社では真田幸村の銅像を見、大阪城からの抜け道を見る。
〜高津神社では仁徳天皇の「高き屋に 登りて見れば 煙立つ 民の竈は賑わいにけり」の歌を鑑賞。
〜生国魂神社(上方芸能発祥の地)。

ここで忘年会18:00に間に合うようにと逆算すれば、「四天王寺の境内に入るのは無理」と判断して、夕陽丘駅でお風呂へ直行することに決定。
風邪気味の浜村君と西川君は風呂は行かずに四天王寺へ・・・。

16:40

17:15

四天王寺そば勝山3丁目にある「天王寺温泉」に入る。
入り口で390円の入場券を買って番台に出す。
奥村君1000円札を入れるが「新1000円札は使えません」で「いまどき新1000円札が使えないとは・・・」とチョット首をかしげている。

30分ほどの短い入浴だったが、冷えたからだがよく温もった。

18:00

20:00

「がんこ寿司」にはすでに西川・浜村・青木・竹村・坪田・福井君が座っており、奥村君がチョット遅れてきた。
それぞれが思い思いの話をして2時間で解散。

そのあと、大橋君とナンバで洋酒スタンドへ。

22:20
自宅帰着。
本日の歩行数:22,500歩。歩行距離:約15Km。


がんこ寿司にて