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第49回 中山道・宿場祭り 石山から守山宿まで |
2008.4.29(祝・火) | メンバー9名:浜村・西川・竹村・竹内・浅井・藤岡・坪田・塩谷・清水 |
電車行程 | 生駒駅 | ⇒ 奈良線・快急 |
西大寺駅 | ⇒ 京都線・急行 |
京都駅 | 〜 徒歩 |
JR・京都駅 | ⇒ 新快速 |
石山駅 |
8:25 | 8:33〜8:38 | 9:18 | 9:30 | 9:44 |
コース:JR/石山駅〜瀬田の唐橋〜建部大社〜野路萩の玉川〜草津宿〜守山駅 |
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前日、福井君からの電話で「自転車で転んで怪我をしたから今回は参加できない」と。 4月3日に下見をした際、28〜29日は草津宿の宿場祭りと知った。 |
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9:45 | 石山駅の改札を出ると全員集まっていた。 すぐにスタートする。 |
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10:05 | 瀬田の唐橋。川には瀬田川リバークルーズが・・・。
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10:20 | 建部神社。今日はこのお宮さんの春祭りとのことで境内には神輿が飾られていた。
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10:35 | 大江のたぬき。
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11:40 | 一里塚山跡。 途中、ちょっと道に迷う。 一里塚は、徳川幕府が旅人の目じるしに江戸の日本橋を基点として東海・東山・北陸の三道に一里ごとに設けた塚です。 ここにあった一里塚は東海道の大津と草津の間に位置するもので、大きな松の木が植えられた塚でしたが、 惜しくも明治末期に取り除かれました。その場所は旧道と広い市道の交差しているこの地点にあたります。 現在の一里山という地名が一里塚のあったことを物語っています。
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11:50 | 月の輪池(立場)。
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12:10 〜 12:30 |
狼川には手ごろな休憩所があったのでここで昼食。 今日はいつものワインに加え、竹村氏が「菊水」を差し入れ。 そのうえ、西川氏からは山菜のてんぷらを・・・。ありがたいねえ。
ところで、つまらない物や事に対して「くだらん」という言葉があるがお酒から来た言葉だと竹村氏が教えてくれた。 そもそもお酒は京・大阪の上方の酒がうまい。その酒が江戸等に運ばれることを「下る」という。 逆に江戸から上方に運ばれる酒はうまくないので「下らん」というそうだ。 |
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12:45 | 野路、萩の玉川。
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12:57 | 平清宗の塚。遠藤さんという民家のお庭に祀られている。
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13:20 | 草津宿に向かっていると立木神社があり、「この神社は中村鋭一の実家だよ」と誰かが教えてくれた。 宮司は彼の弟が継いでいるとか。
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13:35 〜 14:10 |
草津宿に入った。 今日は草津の宿場祭りで大勢の人で賑わっている。 「道灌」という造り酒屋ではお酒の試飲の大サービス。遠慮なく頂く、うまい。 この大田酒造、「山吹の花は咲けども・・・」の歌で有名な武将大田道灌の末裔で、太田家は江戸幕府の命を受け草津問屋場を預かり、また隠し目付けを勤めるなど、当宿場の権限をまかされていたので、政所と呼ばれていた。
本陣には「松平出羽守宿」と表札が上がっている。
ここで森君に出会った。彼は今は草津の住民でボランティアガイドをやっているそうだ。副会長だといっていた。
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14:10 | 草津の町外れ、伊砂砂神社。 |
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14:45 | 大宝神社。 この一帯は綣村、今は栗東市綣。 綣村の「綣」という字が最初読めなかった。「へそ」と読む。 「へそむらの まだ麦青し はるのくれ」 はせを(芭蕉のこと)の句碑があった。 |
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15:35 | 草津と守山の間の栗東市はすぐに通り過ぎる。 今宿、一里塚。 川柳に「くたびれた人が見つける 一里塚」という句がある。
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15:45 | 一里塚を過ぎると守山市内に入る。 近江西国33番霊場第2番・東門院。 |
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16:10 | 元総理大臣、宇野宗佑の実家。
宇野宗佑:1989年に竹下登の後継者として内閣総理大臣に就任した。 |
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16:30 | 守山駅に着いた。 反省会の場所を探せどなかなか見当たらず・・・。 ラーメン屋「天下一品」で反省。 一人1000円のベラ安勘定に「計算間違えてるでえ〜〜」 次回は草津から水口方面へ歩こうか、ということになった。 |
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本日の総歩行数:38,000歩。 | ||||||||
*本日の写真集 |