第73回 須磨ウオーク
2011.6.22(水)
参加者:8名(浅井・竹内・竹村・坪田・西山・福井・藤岡・清水)
電車行程 生駒駅
快速
鶴橋
環状
大阪駅
快速
須磨駅
8:33 9:15 9:54

今回は竹村君ご案内での須磨ウオーク
10:00









JR須磨駅集合。 

この付近には「須磨」という名の付く駅がたくさんありとても紛らわしい。
「須磨駅」「須磨海浜公園駅」「山陽須磨寺駅」「山陽須磨駅」「須磨浦公園駅」・・・。

竹内君は誤ってひとつ手前の「須磨海浜公園駅」で降りたらしい。
数分オクレでやってきた。


駅から須磨の浜辺が一望できる。 海辺は来る海水浴シーズンに向けて海小屋建設ラッシュ。

須磨駅からの海辺
10:25








村上帝社。

平安時代の末、太政大臣藤原師長は琵琶の名人であったが、唐に渡って一層奥義を極めたいと願い、都を出て須磨にやってきた。
しかしその夜、村上天皇と梨壺女御(なしつぼにょご)の霊が夢に現われ、琵琶ひきの妙手を師長に伝えたので、
師長は入唐を思いとどまり、「獅子丸」という琵琶を埋めて都に帰った。

この伝説から、土地の人々が村上帝社を祀ったと言われている。



説明板

村上帝社
10:40
須磨寺(福祥寺)。

須磨は源平興亡の舞台となった地で、ここ須磨寺にも平敦盛ゆかりの史跡がいろいろある。
須磨寺境内には源平の庭が作られ、平敦盛と熊谷直実の一騎打ちの場面がモニュメントで表されていた。
他にも、境内には義経腰掛松、弁慶の鐘、敦盛首洗池といった史跡も残されていた。


須磨寺仁王門

手水舎、弘法岩

敦盛・直実像 

敦盛首洗い池

義経腰掛の松

 敦盛首塚

平家一門として17歳で一ノ谷の戦いに参加。源氏側の奇襲を受け、平氏側が劣勢になると、
騎馬で海上の船に逃げようとした敦盛を、敵将を探していた熊谷直実が
「敵に後ろを見せるのは卑怯でありましょう、お戻りなされ」と呼び止める。

敦盛が取って返すと、直実は敦盛を馬から組み落とし、首を斬ろうと甲を上げると、
我が子直家と同じ年頃の美しい若者の顔を見て躊躇する。
直実は敦盛を助けようと名を尋ねるが、
敦盛は「お前のためには良い敵だ、名乗らずとも首を取って人に尋ねよ。すみやかに首を取れ」と答え、
直実は涙ながらに敦盛の首を切った。

この事から、直実の出家の志が一段と強くなったという。発心譚が語られる。
「延慶本」や「鎌倉本」では、直実が敦盛の笛を屋島にいる敦盛の父経盛の元に送り、
直実の書状と経盛の返状が交わされる場面が描かれている。
とか。
111:55
須磨寺を出て一の谷町、敦盛塚五輪の塔。

敦盛塚五輪の塔

五輪の塔前にて
12:40

13:35

五輪の塔から国道2号線に沿って垂水方面へ足を延ばすと、垂水漁港。昼食場所を求めるがなかなかいい場所がない。
漁港から更に食事場所を求めて西へ行くと「万葉歌碑園」があった。

竹内君竜笛

公園から瀬戸内を
13:40
昼食後は万葉歌碑園を通り抜け、西へ向かう。

この石どうして入れたかな?

園には鶏
14:05
舞子に向かう途中、垂水漁協の直売店。 適当にお土産を買う奴おり。

垂水の河口

売店内の明石象の化石
14:35

17:30







ゴール、太平の湯に到着。

入浴&反省会。

福井君からのご提案。「秋に一泊ウオークをやろうよ!」と。
結構ですね。企画の方、よろしくお願いします。

太平の湯からは送迎バスで垂水駅まで送ってくれた。

太平の湯

心配した梅雨時の雨、一滴も降らずありがたいことでした。ご案内いただいた竹村様、ありがとうございました。
20:00
自宅着。
本日のDor To Dor の歩行数=21,317歩。