2007.5.24(木) 

第40回  京都・大文字山(466m)  

2007.5.24(木)京都・大文字山から山科へ5人で歩いた。
メンバーは浅井・西川・浜村・藤岡・清水。
暑かったよ。苦しかったよ。いい湯だったよ。うまいサケだったよ。
10:30
今日のコースはさほど時間がかからないので集合時間を遅めにした。
京都駅コンコースを歩いているとケータイがなった。竹村君からの電話だが聞き取りにくい。
「雨がなくなったので今日は欠席する・・・」と聞こえる。「はあ?」と聞き返そうにも問答できないのでそのまま「あ、そう」と電話を切った。

時間ギリギリに駅前バス乗り場に行くと、すでに浜村・西川・藤岡君が待ってくれていた。
そこで皆と話していてようやく竹村君との電話の意味が分かった。「雨がなくなった」ではなく「姉が亡くなった」だったのだ。
竹村様、失礼しました。

さて、バスに乗ろうとするとバス乗り場の前は修学旅行生がワンサカ。バス1台ずらして乗車。
11:10
銀閣寺前で下車。
バス停から銀閣寺までの門前町は修学旅行生や観光客で賑わっている。
11:30

銀閣寺の入り口の横から大文字参道を歩く。
11:50
参道はすぐに山道に入る。整備はされているが厳しい坂道だ。
途中、「如意の真水」の水飲み場がありコップまで置いてある。浜村君が飲む。オイラも飲ませてもらう。冷たい、うまい。

フーフー言いながら登ると小団体が休憩している。そのうちの一人が藤岡君と挨拶した。
聞くと元会社の同僚だとか。
小休憩を繰り返し登ると「千人塚」。先ほどの登山グループの一人が「応仁の乱の塚だから拝んでから登って・・・」と言う。

小休憩

千人塚
12:10
千人塚から少し歩くと長い長い石段。
登りつめると「火床」に着く。その前には弘法大師堂。

長い石段

火床から下界を見下ろす
13:00
火床で眺望を楽しんだ後、雑木林の間を歩き山頂に着く。
ここで遅い昼食、大休憩。
13:50 食後は山科へ向けて下るが、ちょっと分かりにくい分岐点でこの山の常連と思しき人に道を尋ねると親切に林間道を教えてくれた。
木陰の道をドンドン下る。
浜村君の足がふらついている。

林間道を下る

ハナイカダ
休憩しているとき、西川君がハナイカダを教えてくれた。木の葉に人形が乗っているみたい。筏に見立てているのか。
「持って帰って家で植える」と西川君。
15:00
下山が終わると、「後山階陵」。



日本古来の方法による製鉄をたたら製鉄という。
この遺跡は,比良山系から湖西・湖南地域に分布する製鉄遺跡の一つ,如意ヶ岳南麓遺跡群に含まれる後山階陵遺跡である。
これらの地域の製鉄は6・7世紀を最盛期とし,鉄鉱石を原料としていたと考えられている。

この石標はたたら製鉄の遺跡を示すものである。
なお,後山階陵とは安祥寺寺域内の安祥寺川上流西岸に東面して築かれた円墳で,
左大臣藤原冬嗣(775〜826)の娘順子(809〜71)の墓である。
15:25
後山階陵からすぐに「山科聖天」。ここは京都七福神の一つで桜の名所だとか。

山科聖天
16:10
山科聖天からゆっくりゆっくり30分、JR山科駅そばの「千鳥湯」。
お風呂(390円)に入り汗を流して疲れを癒す。
イレズミのおっさんが二人。あんまりいい気持ちはしない。
17:00
JR山科駅そばの「魚民」に飛び込み、カンパーイ。久しぶりに気分のいい一日でした。
次回のコースは浅井君に下調べをお願いしてカイサーン。
21:15
自宅帰着。
本日の総歩行数:28,000歩。