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勝楽寺から豊郷へ(62回目) |
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2010.2.18(木) |
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今回は我ら彦八メンバーの地元「彦根」の西、甲良町・尼子・豊郷あたりを浜村君のご案内で歩いた。 |
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8:25 〜 9:29 |
JR京都駅改札口に集合。 新快速米原駅行きに乗車。浅井・奥村・西山・山田君たちには電車の中で合流。 |
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9:50 〜 10:05 |
河瀬駅からバスに乗る(300円)。 乗客はわれわれのみ。 |
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10:06 |
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10:24 | 勝楽寺。 勝楽寺は近江源氏ー京極佐々木氏で守護大名の佐々木道誉(足利尊氏とともに室町幕府創建に活躍し、 その豪放無比な言動から婆裟羅大名と呼ばれた)を開祖として開山された禅刹。 境内には道誉の墓があり、宝物庫には恵心僧都の作で大日如来坐像(重文)が流麗な姿を見せてくれる。 寺のかたわらには静かな大池があり、織田信長の兵火をまぬがれた。六脚切妻門と共に印象的である。 裏山は砦として高築豊後守が築城した勝楽寺城址、大日如来池、仕置き場、経塚狐塚、 上臈おとし等の遺跡があり史跡コースとなっている。
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11:50 | 藤堂高虎公園。 ここで昼食。ワインを頂戴し、ギリシャのお酒を頂戴し豪華な昼食。
藤堂高虎は、戦国時代から安土桃山時代、江戸時代前期にかけての武将・大名。伊予今治藩主。 何度も主君を変えた戦国武将として知られる。 築城技術に長け、宇和島城・今治城・篠山城・津城・伊賀上野城・膳所城などを築城した。
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13:45 | 甲良町を抜け尼子を過ぎ四十九院。 僧、行基が四十九院を創建したのは731年、奈良時代後期のことです。 行基はさらに荒神(かまどの神)を祀りました。それは明治時代の神仏分離の布告により、 彦根市の荒神山に移され、現在の荒神山神社がそれです。・・・ |
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14:05 〜 14:25 |
豊郷町の豊郷小学校に着いた。 中山道の石畑と四十九院の間に、白鷺が羽を広げたような洋風建築の豊郷小学校旧校舎群が見えます。 この校舎は一人の近江商人によってすべて寄贈され、諸和12年に建てられたものです。 商社「丸紅」の専務であった古川鉄次郎がその人です。 丸紅の創始者伊藤忠兵衛のデッチ奉公からだんだんと商魂を鍛え上げ忠兵衛の右腕として活躍しました。 当時この校舎は東洋一の教育の殿堂といわれました。・・・ 1999年(平成11年)に大野和三郎が豊郷町町長に就任すると、 この後すったもんだいろいろ推移したが、結局のところ新校舎は2004年に建設されこの旧校舎には図書館や教育委員会等が入り、
小学校跡の反対側に新校舎が建てられているが、まだまだ残っている運動場は広い。 旧校舎に入らせてもらい中を見せてもらったが大きな建物だった。 校舎内部はきれいに磨きがかかっており、浜村君なぞ階段でツルッと滑って数段滑り落ちた。 あとでその話をしていると奥村君まで「ワシも滑り落ちた」と。 |
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14:35 〜 15:35 |
見学を終えた小学校の前の道路は昔の中山道。 しばらく歩くと一里塚がある。 江戸時代後期には街道の往来でにぎわう中山道・高宮宿と愛知川宿の間の宿として発展し、 立場茶屋が設けられ旅人や馬の休息の場として栄えました。
一里塚の先に伊藤忠兵衛の記念碑があり、旧宅記念館がある。
記念館でDVDを見ながら忠兵衛の歴史を勉強。皆は熱心に見ていたがマロはコックリさん。 |
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15:58 〜 16:06 |
イトチュー旧宅から数分で近江鉄道豊郷駅。 豊郷駅からバスでJR稲枝駅。 |
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17:15 〜 17:15 |
稲枝駅から京都にまで帰り、駅前の居酒屋「まるとく」で反省会。 しばらく飲んで騒いでいると、田中君が一人でやってきた。奇遇奇遇。
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浜村君のご案内で好天に恵まれ、当会初参加の山田君を迎え彼の母校豊郷小学校を見学し結構な一日でした。 みなさん、ありがとう。 |
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本日のDor to Dorの総歩行数:24,103歩。 |
漫歩会参加回数表 | |||||||||||||||
実施日 | コース | 参加者 | 浜村 | 竹村 | 西川 | 浅井 | 藤岡 | 竹内 | 植野 | 奥村 | 大橋 | 西山 | 坪田 | 福井 | 山田 |
2010.02.18 | 勝楽寺から豊郷へ | 9名 | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ | |||||
初回からの行事参加回数 | 59 | 43 | 41 | 37 | 27 | 26 | 25 | 20 | 18 | 14 | 11 | 6 | 1 |